ピエールさん捕まりましたね。考えがまとまらずに書き出したので、ダラダラ続くかもしれません。前もって謝っておきます。
とりあえず悪い人ですが、殺人に比べるとまだマシなんだろうなと思います。比較なんてするな、悪い奴だ、というのはごもっともですが、まずそう感じました。
何か悪い事あって感情的になる時など「より悪い事との比較」は冷静にさせてくれます。「叩かれてむかつくけど怪我させられるよりマシ」「外国でぼったくられたけど、財布を盗まれなくて良かった」とか。悪い方と比較してバランスとるというね、ネガティブなんですかね笑
話戻します。悪い情報があった時、こいつ悪い奴だ、の前に比較して考えてみる時があるので、今回も殺人よりはマシだよなというのが一つ浮かびました。
そして別の角度から。昨年ぐらいまでは、「浮気」という犯罪なのか分からないもので鬼の首を取ったように叩かれる風潮ありましたが、それと比べるとやはり極悪なんだろうと思います。
いわゆる「クスリ」によって本来しなかったはずの行動(タイムパラドックス的ですが)で、犯罪(怪我をさせるとか、セクハラするとか)があったとかも、今後出てくるかもしれません。でも、一旦その直接的な犯罪とは切り離した方が良いと感じています。もちろん裁判では違いますけど、情報を受け取る側としてですね。
そこで、ピエールさん、人々に影響力があるポジションで作品を残しているんですね。音楽やら、映画やら、NHKドラマなんかは進行中という。これは、共同で制作している人が可哀そうと、制作業界にいる自分は感じるのですね。
このブログを書き始めたきっかけは、為末さんのつぶやきでした。
そうだー
ピエール瀧容疑者出演映画の公開決定「作品に罪はない」:朝日新聞デジタル https://t.co/cEhAxbCPcH— 為末 大 (@daijapan) 2019年3月20日
賛否両論あると思うのですが、映画公開を責任持つ覚悟した人すごいなーと思います。性格がどうかは知らないですが、仕事をするパートナーとして最高に頼れる人と思います。
「作品に罪はない」って、そうなんだよなー、数日前に坂本龍一さんも似たことつぶやいていました。
「電気グルーヴのCDおよび映像商品の出荷停止、在庫回収、配信停止」
なんのための自粛ですか?電グルの音楽が売られていて困る人がいますか?ドラッグを使用した人間の作った音楽は聴きたくないという人は、ただ聴かなければいいんだけなんだから。音楽に罪はない。— skmtcommmons (@skmt09) 2019年3月14日
IT業界の重鎮のひろゆき氏も同調していました。
そもそも、電気グルーブのピエール瀧さんは音楽作ってないんですけどね、、、
〉坂本龍一さん「ドラッグを使用した人間の作った音楽は聴きたくないという人は、ただ聴かなければいいんだけなんだから。音楽に罪はない。」 https://t.co/af6BvNUWdL
— ひろゆき, Hiroyuki Nishimura (@hiroyuki_ni) 2019年3月15日
そうなんだ、音楽は作ってないんだね。これが成立するとなると、誰かの曲をカバーしたとします。
例えば・・・
武田鉄矢さんの「贈る言葉」をカバーした若手「ニッチグロー」というグループが出てきたとします。
↓
学校で歌った事あるけど武田鉄矢さんを知らない若い人達の間で大ヒットを起こします。
↓
「ニッチグロー」のボーカル「もとみや」が「クスリ」をやっちゃいます。
↓
「贈る言葉」が学校で歌うのを禁じられます。
こう考えると、武田鉄矢さんの貢献を考えたら我々はなんだか消化不良を起こしますよね。
とりあえず音楽作ってないなら、「罪人が歌ってヒットしただけの音楽を自粛」するのは必要ないと思いました!
じゃあ、音楽作っていた人が「クスリ」していたらどうなんだろう???
もし、大好きな音楽の作家がそうだったら?
これなのですが、確かにですね、音楽は力があるので「こんな良い曲作った作者」は流れでリスペクトしてしまいそうです。リスペクトできる人が「クスリ」をやっていると、その人の中で「クスリ」を肯定できてしまう理屈が一つできてしまうのですね。冷静な人は切り分けられますけど、人間は常に冷静とは限りません。弱っていると目先の嫌いな上司よりも、「クスリ」をしている尊敬できる人を選んでしまう場合もあります。そして、行動も模倣してしまう可能性も少し出てきます。
一つ思い浮かんだ解決法としては音楽作った人は名前も顔も変えてもらって別の人生を歩んでもらい、音楽を作った人は死んだ事にしてしまうという方法です。実際、作った人を全く知らなくても好きな音楽ってあったりしますもんね。だから作者がなかったかのように社会から抹殺しちゃえばいいじゃないかと。
でも、これって過剰反応ですよね。悪い人のニュース見て罪の償い方をテキトーに言う人いるじゃないですか?そんなアイデアだなと感じて我ながら頭悪いな、と書きながら思ってしましました。
罪人にも人権はあるし、罪の重さも色々です。イレギュラーな刑罰を作るのは裁判に不公平さを増やすきっかけにもなるだろうし。
音楽が必ずしも作った人と強く結びつくわけではないですが、音楽へのリスペクトは作者のライフスタイルへのリスペクトにつながる可能性を考えると、音楽を作った人(ピエールさんは対象外?)であれば、音楽を流すのは自粛しても良いのかと思いました。
なら、映画など顔を出している人が「クスリ」してたら?
これは、色々考えました。。。。。
- 「クスリ」していたその人そのものを見れてしまう
- 顔が見えるという事は影響力も最たるもの
- 感情移入する良い役柄だと困りもの
- 映画などは1人だけで作られていない
- たった1人のせいで他の人達が作り上げたものが潰される
- 作り上げる為に貢献したのは表に出ている人だけでない
- 自分がスポンサーなら作品を協賛しづらい
完全に「私情」での解決策です。
- スポンサーありきの媒体で流すのは諦めよう。
- 「これはフィクションです」のように「〇〇は罪人です」の表記を義務付ける。
- エンドロールでは、関係者のがっかり感とカリスマを下げるコメントを載せる。
で、どうでしょう!!!
いやー、こんなの運用できないよー(笑)やっぱり、オチない、、、、、これは難しい問題ですねーーーーーー