今日は新宿で仕事があり、
お墓が駅の近くにあるので、
墓参りに行ってきました。
小さい頃は、なるべく行きたくなくて、
親に無理矢理連れてかれていた墓参り。
大人になった今では、毎年どころか、ほぼ毎月墓参りをしています。
近場だから、というのもあるんですけどね。
元々、墓参りが嫌だったのは、
面倒くさかったというのが、一番の理由ですが、
「墓参り」という宗教儀式に抵抗感があったのも理由のひとつです。
仏壇や墓に向かって、
「~でありますように。」と祈ったり、
「おかげさまで~」と感謝したり。
『仏様のおかげ』が前提になってしまうと、
墓参りする代わりに私を守ってくれ、
もしくは守ってくれるから墓参りします、と言ってるみたいで、
仏様とGIVE&TAKEと思えて違和感があったのです。
ただ、単純に先祖に感謝するなら、
別に「墓」という場所は必要ないし、
面倒な形式を、わざわざ作らず、
いつでも、どこにいても心の中で感謝すれば良いでしょ。と。
つまり、へ理屈なんですけどね。
今でも、ちょっとはそう思ってるので、
墓参り=やるべき事。正しい事。とは思っていません。
でも、そんな自分が、何故頻繁に墓参りをするようになったか。
生前の母親に先ほどのようなへ理屈を言った時に、
「じゃあ、お母さんが死んでも会いに来てくれないんだね。」
と、悲しそうな顔をしていたからです。
それから数年後に母が他界してから、
「自分が自発的に墓参りしに行った、と知れば喜んでたろうな」と思い、
初めて一人で墓参りをしてみました。
それでも頑固な自分から出る言葉は、
願い事や感謝ではなく、「自分はこうなりたい」
「最近こんな感じだ」というような、報告のような言葉です。
意外な事に、静かな墓所は冷静に自分を見つめ直せる事に気付き、
偽善的な満足と、ちょっとしたリフレッシュをする為に、
頻繁に行くようになりました。
コメント
どうも!
なんだかんだ初コメントだったりします。
墓参りですか・・・
そういえば最近まったくしていない自分がいました・・・
天文学的な確立でこの世に生まれてこれたのですから、
ご先祖様には感謝しなくてはと思っている今日このごろです。
理由はどうあれ、
行動にうつした事はすばらしいと思いました。
私もお墓参りに行きたいと思います。
ひでぴょん♪さん
ちょっとひねくれているんですけどね。
先祖への感謝と、平和な時代に生まれた幸運に対する感謝などはありますよね。
まあ、何だかんだで親孝行できなかった自分の不甲斐無さを
ごまかす為にも行ってます。