「仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない」は
有名な電通の鬼十則のひとつ
うまくいっている会社は仕事がどんどん降ってきます。
それに慣れ親しむと、
暇になっても、「まあ、仕事が来るだろう」と
ポジティブというより「受け身の楽天家」になりやすい。
大抵は月給や時給、残業代といった
時間がお金に変わる仕組みの中にいるので、
とりあえず仕事か何かをすれば、お金をもらえます。
仕事を与えられている状態でもですよね。
それに対し、自ら創るとは・・・・
時間を掛けて良い仕事をしたものが
最低時給を下回るどころか、時給マイナス千円だって普通。
働いた上、自分のお金が減っていく。。
「創る」には「結果へのチャレンジ」がセットです。
「事業者」は、仕事を創りだして「事業者」ですが、
実際、「何時間働いたんだぞー!賃金よこせ!」なんて、
いくら言っても誰も払ってくれないですもんね。
もちろん、事業者の対極にある「固定給」というのは大事です。
「社会主義」「共産主義」要素ではありますが、
過度の競争社会を避けるための大事なシステムだと思います。
とはいえ、
仕事は自ら創る次元で成長していった方が楽しい。
マイナスの給料があっても授業料に変わります。
時間で働かないメリットは、
自分の存在価値と向き合えること。
収入が少なければ、
いくらハイクオリティな仕事をしていても、
独りよがりの仕事をしているってことですから。
逆に、時間軸で働くことに慣れると、
働く時間が少ないと「罪悪」、
残業することが「情熱」となりやすい。
無計画な「時間予算」を持てば
一部は忙しさをアピールするために不要な仕事を増やす。
さらに、その不要な仕事に馴染まない新人を叱る時間も増える。
そういうのが当たり前の人に限って、
経済が悪くなる原因として貯蓄行動を叩く人がいます。
「お金」を使わないから、と。
でも、違うと思うんですよ。
「不要なものを無理に作り出す」方がよっぽど経済に悪い。
買い手がいない商品を作り出すだけじゃありません。
事業下、「気合だ!」「根性だ!」でどんどん増える無益労働も不要な生産物です。
無益労働の買い手は会社で、そこでお金の流れはストップするんです。
チャレンジした結果の失われた労働ならいいんです。
いろんな仕事の波があるというのに、
「あいつ最近残業してないな、やる気ない、使えない」という方向にブレる人は
これからの時代の管理職にむかない。
そんな人が「仕事は自ら創るんだぞ!」と言っていても僕なら心に響きません。
「創る」人間には、会社以外の世界に触れる時間が必要不可欠です。