歴史に学ぶ その2

注意:
歴史についての見解は僕自身の勝手な解釈を多く含んでます。

中国の三国志の時代、諸葛亮といった名士を生んだ蜀という国がありました。

諸葛亮といえば、今も昔も戦争を上手くコントロールする軍師という役割の代表格ですが、
劉備というカリスマ君主をなくした後は、決して良い戦績ばかりを上げてたわけ
ではありません。むしろ、諸葛亮に対する評価からすると、物足りなすぎる戦績
ではないでしょうか?

蜀が三国の中で逸早く滅亡したのは、周りの魏や呉といった国では世代交代が進んでいても、
蜀では上手くいかなかった、そういった理由があるからではないでしょうか?。それは、
諸葛亮という強いカリスマ性が引き起こしたものであると思います。

ここから僕自身の勝手な解釈が始まるのですが・・・・。

当時、魏という国に攻めてばかりいた諸葛亮や姜維は、劉禅がいた首都から遠い場所で
戦争に明け暮れていました(日本でいえば、東京から北海道とかぐらいかな?)。

諸葛亮は先代(劉備)との約束を守る為に、志を成し遂げる為、無理してでも隣国を攻め続けました。

良い時もありましたが、結局は国を疲弊させ、人材も失い・・・。と、悪いスパイラルに。三国志演義のように若い頃は戦略や戦術で右に出る者もいなかったかもしれませんが、そりゃ数年トップを走れば、研究もされつくされます。

でも、あまりにも輝かしい功績や伝説を持つ彼の決断に、誰も疑いの目も持ちません。
あまりにも傑出したカリスマの周りには、良い人材も自立できずに成長する機会を失う
事も多々あります。

結局は、彼自身の功績が、その後の彼にプレッシャーを与え、彼の代で何とかしようという
無理が独裁的な立場を形成させ、それを妬む者は私利私欲に走り、彼に信じてついていく
者は自分で考えようとせず彼に脳ミソを預けてしまう。

例え彼が戦争を止め、国力を高め、人材を育成する事に力を入れたとしても、結局は魏国に
滅ぼされたかもしれません。

しかし、ここで言いたいのは、そこではなく、どんなカリスマだって過ちは犯しますし、
いつまでも現役ではないという点。また、彼の部下が彼を越しちゃいけないルール
なんて無いんです。

しばしば、現代の職場などでもよく見受けられる事です。

この頃、勝手に動いた事で勝機を崩してしまい、結果泣く泣く諸葛亮に斬首された
馬謖という有能な将軍もいました。

しかし、現代では失敗して怒鳴られても斬首されるなんて事ありませんよね。
どんどん懲りずに『自分が何とかしなきゃ』という高い意思を持った社員を多く
抱える会社は強いんでしょうね。

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