年収制というのは 自分の時間を売ってるから「時間給」です。
時間給というとアルバイトみたいですが、
正社員と呼ばれる労働者の収入は、
多少ボーナスのような誤差もありますが、
計算すれば1時間当たりの労働収入が通年であまり変わりませんので、
アルバイトと同じで自分の時間を売っているようなものです。
逆に
「価値」があった時だけ「収入」になる「価値給」。
※価値給というのはボクの造語です。
成果給、歩合給とよく使われる言葉にしないのは、
あくまで「価値」がお金になるという意味で進めたいからです。
月に200時間働いても月収ゼロ円の可能性もあるし、
月に2時間働いただけで月収100万円になる可能性だってある。
基準は「時間」でなく「価値」だから。
「価値給」はフェアな収入ともいえますが、
悪い点は、目先の「価値」が評価されすぎてしまう。
10年掛けて10億の価値を作るよりも、
1年掛けて1000万の価値を作る方が
安全で賢い選択になりがちです。
それに対し「時間給」は、
10年掛けて10億の価値を作るのも、
1年掛けて1000万の価値を作るのも関係なく動けます。
どういう方向に進むかは全ては経営者次第。
「時間給」のよくない点
お金になる基準が「価値」でなく「時間」であることです。
「時間」との取引になれば、
時間を費やす事が「価値」ですから、
長時間働いている人の方が「価値」ある人材になってしまう。
「いやいや、残業は良くないよ」
と残業を抑えようとする会社も、
残業する人の方を評価しないわけにいかなくなるんですよね。
やはり残業代をうるさく請求しない
いわゆるサービス残業OKな
「時間給者」が評価される傾向も否めません。
働く側としては、
「時間給」を要求するという事は、
「時間」が評価基準である事も覚悟しなきゃならないと思います。
「時間」が価値になると
「時間」を生みだす為に
「無価値」な仕事を作り出す人も出てきます。
仕事をしているフリぐらいなら一人だけの影響で済みますが、
余計な手続きを増やして、段取り通りでないと受け付けないなど、
融通のきかないコミュニケーション作業が増えて、
複数人の時間を奪う事もあります。
ドイツの軍人「ハンス・フォン・ゼークト」は、
「無能な働き者は処刑するしかない。」と言いましたが、
そんな物騒な事言う程じゃなくても、
方向を見失って仕事を作り出す人は、
確かに事態をややこしくするかもしれません。
また、利益を生まない企画する人は、
複数人の時間を消費するのに、
アイデアマンのようなイメージを与えます。
時間給の世界では、
他人の時間を巻き込むほど、
結果は問わず、評価される方向に向かう気がします。
と、「時間給」の悪口ばかりですが、
「価値給」の体制よりもある利点は、
ずーーっと革新的なものを生むチャンスがある点です。
「価値給」は、
変化し続けるフワフワした「価値」への柔軟さが必要で、
「価値」を低くみられない為の警戒が必要です。
それに対し、
「時間給」の良い点は、
評価の数値が一定で、全員同条件という点です。
評価の基準が分かりやすく、
余計な事考えず時間内は、
仕事に没頭しやすい。
何かを警戒しながら走るよりも、
集中して走った方が遠くへ行きやすいですよね。
労使関係というのは、
いうなれば取引関係なのですが、
「時間」という基準を設けると、
「取引」を忘れて仕事の生産向上に集中できます。
「無価値」なものも「価値」あるものも一定率で生む時間給なので、
生産向上に方向が向けば、
目先の「価値」が絶対正義の「価値給」よりも、
イノベーションが出る確率は高まると思うんですよね。
話し変わりますが
よく不思議だなぁと思うのが、
「時間給」で活躍している先輩が
「時間給」で働いている後輩に
「お前、甘ったれてるなぁ」や「無駄な仕事ばっかり」
など世の中の厳しさを説教をしている時です。
「時間給」で働いている間は、
「世の中の厳しさ」なんて
これっぽっちも理解できないと思います。
いや、「価値給」で働いている人だって、
安心して商売できる日本で仕事しているんであれば、
ホントの「世の中の厳しさ」なんて理解しているとは言い難い。
もちろん、
会社は利益が必要だとかの最低限は教えるべきと思いますが、
俺はお前みたいな甘ちゃんとは違うアピールしても、
後輩はピンと来るはずがありません。
仕事しないでサボってるのなら説教すべきですが、
仕事に夢中になって、おかしな方向に進んでいる場合は、
失敗の尻拭いするぐらいの気持ちで放任する事で、
何か化ける可能性はあると思います。
いや、実際の偉人の話し聞いていると、
バカげた方向へ努力している時期があります。
戦争ならゼークト将軍の言う通りかもしれませんが、
商売なら、死者を出すわけじゃないし、
ぐっと堪えるのも重要と思うんですよね。